三苫薫という名前が世界に知れ渡るまで、わずか数年しかかかっていない。
大学サッカーを経てJリーグへ、そしてプレミアリーグでの大躍進。
華麗なドリブルと冷静な判断力で観客を魅了し続ける彼の軌跡は、日本サッカー界にとっても象徴的な出来事となった。
今回は、彼のキャリアを冷静に振り返りながら、その進化の背景にある要因を探る。
1.大学からJリーグ、そして欧州挑戦へ
三苫薫のキャリアは、福岡大学附属大濠高校から始まり、筑波大学に進学して大学サッカーで注目を集めたところから本格化する。
筑波大時代には関東大学リーグで数々の得点を挙げ、在学中にJリーグクラブ・川崎フロンターレへの加入が内定。
卒業後、正式にプロ契約を結び、2020年にJリーグデビューを果たした。
彼はJ1初年度から活躍し、リーグ戦13得点12アシストを記録。
視野の広さ、縦への突破力、そして切り返しの鋭さで多くの守備陣を翻弄した。
その後2021年、海外移籍を決断し、イングランド・プレミアリーグのブライトン&ホーヴ・アルビオンFCへ加入。
当初はベルギーのユニオン・サン=ジロワーズに期限付き移籍されるが、翌年から本格的にプレミアでの挑戦が始まった。
2.プレミアリーグでの躍進と世界的評価
2022-23シーズンにおいて、三苫はプレミアリーグの舞台で一躍注目を浴びる存在となる。
特にアーセナルやリヴァプールなど強豪相手にも臆することなく仕掛け、記憶に残るゴールやアシストを演出した。
ドリブル突破数、被ファウル数など多くのスタッツでリーグ上位にランクインした事実は、彼の存在感の大きさを証明している。
また、技術的な側面だけでなく、試合展開の中での判断やポジショニングにも進化が見られた。
ロベルト・デ・ゼルビ監督の戦術の中で重要な左サイドの役割を担い、戦術理解度の高さも評価された。
2023年にはFIFAワールドカップでの「ライン際1mmアシスト」で日本代表の勝利に貢献し、世界中のメディアから注目を浴びた。
3.ケガと課題、そしてさらなる期待
一方で、三苫のキャリアには試練も存在する。
2024年から2025年にかけては度重なるケガに見舞われ、出場機会を減らすことになった。
特に太ももの負傷はシーズン後半の稼働に影響を及ぼし、クラブと代表の両方でベストのパフォーマンスを発揮できなかった。
それでも、チームやファンの信頼は厚く、復帰後のプレーにも期待が寄せられている。
また、彼の将来的な移籍先として、よりビッグクラブ(マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、バイエルンなど)とのリンクも取り沙汰されており、今後数年の動向は非常に注目される。
まとめ
三苫薫は、決して“早熟型”の選手ではない。大学サッカーを経て、着実にステップを踏んで世界に名を知らしめた。
そのプロセスには、技術と戦術理解、そしてメンタル面の成長が凝縮されている。
これまでのキャリアにおいて彼が見せてきた進化と柔軟性は、今後さらなる飛躍への伏線でもある。
ケガからの完全復活と新天地での挑戦が実現すれば、三苫薫は真の“ワールドクラス”として定着する日も遠くない。
SNOWさんの見解
大学でドリブルの論文を書いたほどで、すごいサッカーオタク感がその雰囲気、風貌からも伝わってくる三苫さん。
すごくメンタルピュアな方で、本当にサッカーが好きでやってる選手という風に僕には見えます。
ドリブルだけじゃなく視野の広さと精度の高いパス、シュートは頭でも決めるみたいな。
身長こそ低めだけどなんでもできる選手、今後はさらにビッグなクラブでの活躍をどうしても期待してしまいますね。