クラシックに出られなかった1頭の馬が、日本競馬の“国際化”の扉を開いた。
その名はグラスワンダー。伝説の末脚は、単なる勝利の象徴ではなかった。
その背後にいたのは、勝つためにリスクを取ることを恐れなかった「勝負師たち」。
実はそのマインドこそが、今の日本経済に必要なのではないかと思うのだ。
1.「黄金の豪脚」はなぜ伝説となったのか?
1995年生まれのグラスワンダーは、外国産馬として日本に輸入された。
そして1997年、朝日杯3歳ステークスをレコードタイムで圧勝。
その後、屈腱炎で長期離脱を余儀なくされたが、1998年の有馬記念で劇的な復活を果たす。
驚くべきは、完全な休養明けでGⅠを勝ったこと。
しかも相手はサイレンススズカ亡き後の最強世代ともいえるスペシャルウィーク陣営。
不利な条件下で“勝ち切った”その末脚は、「黄金の豪脚」と語り継がれている。
さらに翌1999年には宝塚記念、有馬記念とグランプリ連覇を果たし、
競馬ファンの心を完全につかんだ。
その走りには、単なる「強さ」ではない、何かに賭ける覚悟があったように思える。
出典:競馬動画保管庫 Horse Racing Video Archive
2.勝負師たちの「賭け」が競馬を変えた
グラスワンダーが走っていた時代、日本の競馬界は大きな転換点にあった。
それまでクラシック競走には出走できなかった「マル外」が、
制度改正によって皐月賞・ダービーに挑めるようになったのだ。
これは一部で「日本馬の権利を守るべきでは」といった声も上がる中、
JRAや生産者、馬主たちが“あえてリスクを取った”結果だった。
グラスワンダー、そしてエルコンドルパサーの活躍が、「この決断は正しかった」と証明してみせた。
馬産地も変わった。
より良い血統の導入、育成技術の改善、外資との連携。
「勝つために今を変える」――このシンプルな思想が、日本競馬のレベルを国際GⅠ制覇レベルにまで引き上げたのである。
つまり、グラスワンダーの黄金の脚の裏には、“勝負師たちの賭けに勝った物語”がある。
出典:JRA公式チャンネル
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