本気で目標に向かって生きるのはいいことだけど本気で生きるだけというのは漠然として危険と思う話

SNOW

2026-01-10

本気で勉強することや筋トレに打ち込むことは、とても前向きな行動だと思います。

一方で、「本気で生きる」という言葉には、少し引っかかるものを感じます。

言葉としては力強いですが、意味が広すぎて扱いが難しいとも感じます。

今回は、この違和感について整理しながら、自分なりの考えを書いていきます。

なぜ「本気」が美徳として語られやすいのか

勉強や筋トレは、努力の対象がはっきりしています。

範囲や時間、達成ラインが比較的明確です。

テストの点数や筋力、体調の変化など、成果も確認しやすいです。

そのため、やった分だけ手応えを感じやすい特徴があります。

実際に、運動によって幸福感や自己評価が高まりやすいというデータもあります。

努力と結果が結びつきやすい行為は、「本気でやること」が肯定されやすいのだと思います。


具体的な本気と、漠然とした本気の違い

具体的な努力には、共通した特徴があります。

  • 成果が測りやすいです
  • 途中経過を振り返れます
  • やり方を修正できます

勉強なら科目や範囲がありますし、筋トレなら回数や負荷があります。

一方で、「本気で生きる」という言葉には、対象がありません。

どこまでやれば十分なのかが分かりません。

終わりも見えません。

その結果、「まだ足りないのではないか」という不安が残りやすくなります。

頑張っているのに、自分を評価できなくなることもあります。


物価や医療費の変化が与える影響

最近は、努力とは別のところで生活の負担が増えています。

物価は上昇傾向が続いており、日々の支出に影響しています。

2026年に向けても、この流れは大きく変わっていません。

医療の分野でも、人件費や物価の影響を受けて診療報酬が引き上げられました。

入院時の食事代なども上がっています。

こうした環境では、個人の頑張りだけで結果を左右できない場面が増えます。

それでも「本気で生きろ」と言われると、苦しく感じる人もいると思います。


出典:偉人に学ぶ生き方と物語