本気で勉強することや筋トレに打ち込むことは、とても前向きな行動だと思います。
一方で、「本気で生きる」という言葉には、少し引っかかるものを感じます。
言葉としては力強いですが、意味が広すぎて扱いが難しいとも感じます。
今回は、この違和感について整理しながら、自分なりの考えを書いていきます。
なぜ「本気」が美徳として語られやすいのか
勉強や筋トレは、努力の対象がはっきりしています。
範囲や時間、達成ラインが比較的明確です。
テストの点数や筋力、体調の変化など、成果も確認しやすいです。
そのため、やった分だけ手応えを感じやすい特徴があります。
実際に、運動によって幸福感や自己評価が高まりやすいというデータもあります。
努力と結果が結びつきやすい行為は、「本気でやること」が肯定されやすいのだと思います。
具体的な本気と、漠然とした本気の違い
具体的な努力には、共通した特徴があります。
- 成果が測りやすいです
- 途中経過を振り返れます
- やり方を修正できます
勉強なら科目や範囲がありますし、筋トレなら回数や負荷があります。
一方で、「本気で生きる」という言葉には、対象がありません。
どこまでやれば十分なのかが分かりません。
終わりも見えません。
その結果、「まだ足りないのではないか」という不安が残りやすくなります。
頑張っているのに、自分を評価できなくなることもあります。
物価や医療費の変化が与える影響
最近は、努力とは別のところで生活の負担が増えています。
物価は上昇傾向が続いており、日々の支出に影響しています。
2026年に向けても、この流れは大きく変わっていません。
医療の分野でも、人件費や物価の影響を受けて診療報酬が引き上げられました。
入院時の食事代なども上がっています。
こうした環境では、個人の頑張りだけで結果を左右できない場面が増えます。
それでも「本気で生きろ」と言われると、苦しく感じる人もいると思います。
出典:偉人に学ぶ生き方と物語
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