机上の空論は、グラウンドでは通用しない。
どれだけ頭で理解していても、体が動かなければ意味がない。
野球というスポーツは、理屈と実践の“間”を知る最高の教材だ。
本記事では、野球少年の学びを通して「理屈を超える力」について考えてみたい。
1.頭でわかっていても打てない理由
バッティング理論は無数にあるが、それを知っていてもヒットは打てない。
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スイングの角度や軌道は理解していても、タイミングがズレれば空振り
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相手ピッチャーの配球が予想と違えば、狙い通りにはいかない
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緊張やプレッシャーが「正しいフォーム」を崩すこともある
つまり、「知っている」と「できる」のあいだには大きなギャップがあるのだ。
野球少年たちは、この現実を体感的に学び続けている。
2.反復練習が理屈を超える
「こうすればいい」と言われてすぐできるなら、誰も苦労しない。
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トスバッティングを何百回も繰り返す
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素振りでフォームを身体に叩き込む
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声かけ・守備位置の確認を体で覚える
反復練習の中で、理屈が「感覚」に変わる。
それは頭で理解するのではなく、体に染み込ませて初めて武器になる。
3.実戦はいつも想定外
練習でできていても、試合ではうまくいかないことが多い。
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イレギュラーなバウンド
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予想外のサインミス
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不慣れな守備位置や天候の変化
そんなとき、最後に問われるのは「応用力」や「とっさの判断」だ。
つまり、理屈を超えた“経験の引き出し”があるかどうか。
野球少年たちは、失敗と修正を繰り返しながらその引き出しを育てている。
結論
理屈を知ることは大切だが、それだけでは通用しない世界がある。
野球少年は、日々の練習と試合を通して「うまくいかない現実」と向き合っている。
だからこそ、彼らは「理屈を超えるために必要な努力」を自然と知っているのだ。
そしてその姿勢こそが、野球以外のあらゆる場面でも生きる“本当の力”になる。
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SNOWさんが思うこと
考えるだけで、この理屈ならうまくいくだろう、というのは実験までいかない「試行」です。
寝る間も惜しんで勉強して考えて、これならうまくいくだろうというのが実験ですね。
実体験や相談がない仕事は、試行や実験に過ぎなくて、勝手にやっていいことではないと思います。
やっぱり長い年月をかけて、指示に従って、陰ながら努力もして、学ばせてもらいながらする仕事が仕事だと思います。
それ以外は「試行」か「実験」で、社会の利益というよりはコストがかかっていることだと思っています。