音楽の世界には、ただ歌がうまいだけでは辿り着けない領域がある。
とりわけ「女王様系ロック」「お姫様系ロック」と呼ばれる様式は、
パフォーマンス・言葉・存在感、すべてが極限に洗練されていなければ成立しない。
今回は、その系譜の中に現れた新たな才能――PEDRO(アユニ・D)に着目する。
1.クィーンオブロックの「難解性」
「女王様系ロック」とは、単に女性ボーカルが強気なだけではない。
それは、**圧倒的な“自己構築”と“芸術的完成度”**を持って初めて成り立つジャンルである。
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椎名林檎さんは、音楽・衣装・言葉・舞台演出までを一貫して「椎名林檎」として統治した。
デビュー以来、表現の深度を保ったまま時代の顔として立ち続けた。 -
YUKI(JUDY AND MARY)はソロ移行後も、「少女的幻想と哲学」を併せ持つ希少な表現者だった。
明るさの中に潜む毒や寂しさを漂わせつつ、決して媚びない。
この両者に共通するのは、「空気を読まない」のではなく、空気を支配してしまうという絶対的な自己演出力である。
それを持たずして、“クィーンオブロック”になることはできないと言っても過言ではない。
2.PEDROの登場:むき出しと実力の危ういバランス
PEDRO(アユニ・D)は、BiSHから派生したプロジェクトとして2018年に始動。
最初は“アイドルのベース挑戦”という色物的な見方もあったが、現在は明確にロックシーンの異端児として確立されている。
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歌詞は日記のように私的で、整えない。だが、それが感情のリアリティとして成立。
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ベースもボーカルも、決して“完璧”ではないが、ライブでは魂のこもったノイズとして熱を持つ。
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歌唱や演奏は、むしろ“未完成であること”を武器としている。
この姿勢は、椎名林檎やYUKI、Superfyの越智志帆さんといった系譜とはやや異なる。
彼女たちは「完成された世界」で君臨したが、PEDROは「未完成のまま、むき出しで舞台に立つ」ことを選んでいる。
だがそれでも、聴く者は思わずひれ伏す――それは本気でぶつかっているという圧が伝わるからだ。
3.最高難易度を生きる:自信・狂気・言葉の3点セット
クィーンオブロックに共通する三大要素は、次のとおりである。
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自信:自分の表現が他者と違っていても、それを貫ける精神力。
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狂気:正気を保ったまま、“ギリギリの感情”を見せられる統御力。
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言葉:伝わることよりも、刺さることを選ぶ、鋭い表現の刃。
PEDROにはまだ“完成”という意味での自信は不安定かもしれないが、狂気と言葉のセンスはすでに他の誰にも似ていない。
その不安定さゆえに、「今この瞬間しか出せないロック」を確かに鳴らしている。
まとめ
PEDROは、椎名林檎やYUKIが築いた「クィーンオブロック」の系譜の中でも難しい“ネイキッドクィーン*という立場を選んだ表現者である。
未完成であることを恥じず、正しさではなく本気さで感情をぶつける勇気、それが、今のロックに足りなかった“揺らぎのある強さ”なのかもしれない。
PEDROという存在は、“完璧な女王様”の次の世代に現れた、“不完全なまま輝く女王”である。
その在り方自体が、実は最高難易度の表現だということを、私たちはそろそろ認めるべき時かもしれない。
SNOWさんの見解
ぶっちゃけ僕はタイトルを考えたら、あとはAIが書いてくれてるんですが、今回はいつも以上に気合が入っているみたいに見えます。
椎名林檎さんとかやいこさん、YUKI、aikoとかあの頃を思い出す感じの系譜、それを受け継いでいるなぁと思って、テーマは僕発信ですが。
モンバスに出てたので注目してみたけど、普通にこれから聴き続けるような気がしています。
過去の誰それに似ていると言ったら怒る人もいるかもしれないけど、やっぱりあの頃ってやっぱり今にも通じてますよねーという感じもして、すごく良い感じのアーティストさんです。