AIアート=簡単ならアートと呼ぶのはもっと「ものすごいもの」になるだろう


AIによって、誰もが「絵を描ける」時代が到来した。専門技術がなくても、美術教育を受けていなくても、短時間で驚くほどのビジュアルが生成できるようになっている。

しかし、これを「アート」と呼んでよいのかという議論は尽きない。

もし「簡単に作れるからアート」と呼ぶなら、逆に“本物のアート”の定義も見直される必要がある。

AI時代のアートの本質は、より「ものすごいもの」に進化する可能性を孕んでいる。

1.AIアートの台頭と現状

近年、Stable Diffusion、Midjourney、DALL·EなどのAI画像生成ツールが一般に浸透し、X(旧Twitter)やInstagramでは、プロ顔負けのビジュアル作品が日々投稿されている。

誰でもコマンド(プロンプト)を入力するだけで、美麗な肖像画、幻想的な風景、フォトリアルな動物までも描けるようになった。

このようなAIアートは、いわば「手を汚さずに名画を描くような体験」であり、その魅力は大きい。

また、2023年には、AI生成のアート作品がコンペで受賞し、物議を醸した事例もあった。

コロラド州のアートフェアで、ジェイソン・アレン氏がMidjourneyで生成した作品《Théâtre D’opéra Spatial》がデジタルアート部門で1位を獲得したのである。

これは単なる技術の勝利なのか、それとも芸術の本質が変わる瞬間だったのか。AIアートは、アートの定義そのものに一石を投じている。


2.「簡単=アート」の時代に訪れる逆説

「誰でもできること」をアートと呼ぶべきか。これはかつて、カメラの登場によって写真が芸術か否かを問われたときにも似た問いである。

その後、写真は構図や瞬間性、表現意図の深さで評価されるようになり、立派な芸術のジャンルとして定着した。AIアートもまた、そのような過程をたどるかもしれない。

しかしAIアートには「労力がほとんどかからない」というイメージが強く伴う。そのため、「どこまでが自分の創作なのか」という評価軸が曖昧になりやすい。

プロンプトが「詩的」でも、それを読んでAIが解釈し、意図を超えたものを生み出したとき、それは果たして誰の表現なのか?

この問いに答えられないままでは、「AIアートはアートじゃない」という反発は根強く残るだろう。

そして逆説的に、「簡単だからアートではない」という意識が、より高度で深い表現を志向する動きを加速させる可能性がある。