急激に変化する経済状況や働き方の多様化の中で、「質素な暮らし」に再注目が集まっている。
物を持たずに生きるという発想ではなく、必要十分な暮らしを保ちながら、
無駄や不安から解放されるライフスタイルに価値が見出されている。
この記事では、ミニマルかつ現実的な「質素な暮らし」のあり方を多角的に考察していく。
1. 最低限の生活とは「足りない」ではなく「整っている」ことである
現代日本における最低限の生活水準は、過去に比べてはるかに高い。
例えば、総務省の調査によれば、一人暮らしの平均食費は月2万円〜3万円程度。
これは、パン・ご飯・バナナ・チーズなど、安価で栄養価のある食材を中心にした食生活で十分成立する。
清潔な衣服としては、ユニクロやワークマンのような低価格帯ブランドが豊富に選べ、機能性も高い。
住まいについても、簡素なプレハブやシェア型居住の整備が進めば、
月2〜3万円以下での住環境の確保も夢ではない。
空調・水回り・セキュリティが最低限整っていれば、それは「苦しい」ではなく「合理的」とすら言える。
このような生活は、派手さや娯楽の多様性には欠けるが、
不安から解放された「静けさ」を土台に持っている。
2. 生活の質は「体力」と「知性」によって上昇する
必要最低限の生活を保った上で、ジムに通って体を整え、図書館で知識を得る。
これは、いわば“質素なブートキャンプ”、ジムの月会費は公営施設を使えば月2,000円程度。
筋トレや有酸素運動に取り組むことで、健康寿命を延ばすだけでなく、精神の安定にもつながることが研究でも示されている。
また、図書館はインターネット接続・書籍閲覧・静かな作業スペースという三拍子そろった「無敵の知的拠点」だ。
勉強する対象は何でも良くて、英語、簿記、プログラミング、あるいは文学や歴史でもいい。
自分の中に“積み上げ”があるという実感が、生活における幸福感や自尊心を根本から支える。
つまり、質素な暮らしで最も贅沢なのは「自分に向き合える時間」かもしれない。