3. 見栄を捨てたとき、人はもっとも自由になる
現代社会は、知らず知らずのうちに「人並み」に縛られていて、周囲と同じように消費し、持ち物で自分を飾り、常に比較の目にさらされている。
だが、本当は誰もが一度は気づいているはずで、安価で栄養のある食事をとり、シンプルな服を着て、本と筋トレに打ち込む暮らしこそが、最も「自分らしい」生活なのだと思っている。
「質素な暮らし」は、何かを我慢しているのではなく、むしろ不必要なものに煩わされず、自分の身体と頭脳に集中できるという意味で、圧倒的に“自由”であり、“洗練”されている。
もちろん、旅行やお菓子、趣味の出費ができない日もあるけど、その「少し足りない」を受け入れる器こそが、大人としての成熟とも言える。
まとめ
質素な暮らしとは、決してみすぼらしく、退屈で、後ろ向きなものではなく、必要なものを絞り込み、自分の身体と知性を磨く。
社会に流されることなく、自分に集中し、納得して選びとるという風に、それは見方を変えれば「最強の暮らし方」であり、誰にでも再現可能な“生き直しのモデル”でもある。
「生きるのが難しい」と感じたとき、この暮らし方を一度想像してみれば、そこには、静かで、確かで、そして自由な自分がいるかもしれない。
SNOWさんも考える
僕の昼ご飯は、食パン(1枚)にスライスチーズをはさんだやつと、普通のおにぎりと、バナナと、ときどきプロテインチョコバーみたいな感じです。
本当に必要な栄養素に絞ると、かなり質素ですみますし、僕はどちらかというとそういう食事の方が好きです。
なにかを断つというよりは、全体的に質素で役に立つものに置き換えていく感じで、コストがおさえられて健康にもなれるという。
ミニマルは意外と難しいということで、僕はそういう感じを目指して、最近は生活しています。
ソフトウェア界隈は、なぜか割とそういう感じの「無欲を目指す人」が多い気もしていますが、理由はよくわかりません。。