ある発言が問題視されたとき、私たちは「これは法に触れているのか?」と考える。
しかし、たとえ法的には問題がなかったとしても、「それで本当に良いのか?」という問いは残る。
とくに、社会に悪影響を及ぼす発言や行動に対し、誰も何も言わない空気が広がると、見えない歪みが生まれていく。
今回は「法的責任」と「社会的責任」の違い、そして「沈黙する社会」が持つ怖さについて考えてみたい。
1.法的責任とは何か、どこまでなのか
法的責任とは、法律に違反した場合に発生する責任であり、国家や裁判所によって明確に罰せられるものだ。
刑法、民法、行政法などの領域において、違法行為があれば処罰が科される。
例えば、虚偽の情報を流し、企業の業務を妨げた場合には「業務妨害罪」、個人を傷つければ「名誉毀損罪」が適用される。
つまり、法的責任は「ルールに違反したかどうか」という明確な基準で判断される。
一方で、「地震が来るかもしれない」「あの人は危ない」など、あくまで“予想”や“意見”として語られるものは、通常、法に触れることはない。
たとえ社会に不安や混乱を与えたとしても、それが個人の「思想・表現の自由」の範囲内であれば、法的には咎められない。
ここに、現代社会の盲点がある。
2.社会的責任とは何か、なぜ軽視されるのか
社会的責任とは、法には触れないが、社会的な立場や信頼に基づいて負うべき責任である。
インフルエンサー、ジャーナリスト、政治家、あるいは会社員や一般市民であっても、自分の発言や行動が他者に与える影響を考慮する必要がある。
この責任は、「信頼」「共感」「正直さ」といった曖昧な基準で評価され、時に強い社会的制裁(炎上、信用喪失)を伴うこともある。
逆に、誠実な対応や説明によって信頼が回復し、評価を高めることもある。
ただし、この「社会的責任」はあいまいで、誰が評価者なのかがはっきりしない。
そのため、責任逃れや開き直りが可能になりやすく、結果として「無責任な発言者が得をする」構造を生んでしまう。
そして、より深刻なのは、その発言を誰も止めない「沈黙の空気」が当たり前になっていくことだ。
出典:Youtube(アルファホープスVRS製造現場研修所近藤邦康)
3.沈黙の社会は、なぜ怖いのか
誰かが無責任な言動をしたときに、誰もそれを批判せず、違和感を覚えても、黙って流してしまう。
そんな「沈黙の社会」は、一見、平和に見えて、実は非常に危うい。
それは、間違った情報や不安が“信じていいもの”として定着していくからだ。
歴史を振り返っても、「誰も声を上げなかった」ことで不正や暴走が見逃され、大きな悲劇を生んだ例は数多い。
また現代でも、過激な言説だけが注目され、冷静な意見が「波風を立てるな」と排除されてしまうことがある。
こうして、「間違っているかもしれない」と思っても言えない社会ができあがってしまう。
沈黙の空気が広がると、正しい問いすら封じられる。
結果として、誰も何も検証しなくなり、誰も責任を取らないまま、社会は少しずつ不安定になっていく。
出典:Youtube(TBS NEWS DIG Powered by JNN)
まとめ
法的責任は明確なルール違反に対して科されるが、社会的責任は“信頼”や“誠実さ”という見えない尺度で決まる。
しかし、現代ではこの社会的責任が軽視され、しかもそれを咎める声が少ない。
「黙っているのが大人の対応」とされがちだが、その沈黙こそが、無責任な情報や空気を正当化してしまう。
私たちは「誰がルールを破ったか」だけでなく、「誰が社会の信頼を傷つけたか」にも目を向ける必要がある。
そして、ときには静かな声でもいい。「それは本当か?」「それでいいのか?」と問いかける勇気こそが、健全な社会を守る第一歩になる。
SNOWさんが思うこと
要はバランスが大事ということですよね、この三すくみと言えるのかどうかわからないけど、どれかに偏ったら『罪』になってしまうのかなという気がします。
僕も動画みたいな研修などでたくさん知識をつけて、経験もそれなりに積んだり積まなかったりしてきたソフトウェアエンジニアとしていまに至ります。
そういった経験をたくさん積んだ上で、年をとって何か言わなきゃと思う人はたくさんいて、そういう中の勇気ある一人か推された誰かが何か発言をするときは、それはほぼ99%良いことじゃないかと思います。
社会に出てすぐのころは「何で普通のことを言っているんだろう」という感覚で研修を受けていたけど、言われていることは当たり前のようでも「選び抜かれた良いこと」の集まりで、良いことしか言ってないみたいな感じなんですね。
逆に言うとそのような良いこと、必ずしもそれが「「儲かる」とは限りませんが、それが当たり前になっている現代社会とはいかに「有難い」ものかと、収益やGDPや借金だけで測るのもちょっと屈折した考え方なのかなという気もしました。
そしてそれもまたバランスが大事なのかなと思いました。