odol – 瞬間 – 懐かしいけど新しい似てるけど似てない不思議サウンド

現代邦楽の中でも独自の立ち位置を築いているバンド、odol。

彼らの楽曲「瞬間」は、その名のとおり、言葉では捉えきれない一瞬の感情や風景を閉じ込めたような作品だ。

初めて聴いたはずなのに、どこかで体験したような懐かしさ。

しかし、同時に確かに「今」でしか生まれ得ない新しさが息づいている。


odolとは何者なのか

odolは、2014年に東京で結成された5人組バンド、繊細な日本語詞と、ジャンルにとらわれない構成力を武器に、インディーシーンで注目を集めてきた。

彼らの音楽は、ロックやポップといった枠に収まりきらず、どこかクラシック、エレクトロ、アンビエントの要素も感じさせる。

「瞬間」は2020年代の作品でありながら、楽曲構成やアレンジに90年代後半〜2000年代前半のエモーショナルな邦ロックの文脈を感じるという声もある。

特筆すべきは、ボーカルのミックスとリズムの配置である。

徹底的に”詩”としての言葉のニュアンスが引き立つように設計されており、聴き手が“自分の記憶”に置き換えながら聴ける空白がある。

また、音の密度が決して高くないにも関わらず、緊張感が持続するのは、音の「配置」や「鳴らし方」に緻密な計算があるからだろう。


出典:odol


懐かしいけど新しい、その理由を読み解く

「瞬間」は、イントロからして心を掴まれる。

コード進行はオーソドックスながら、リズムの刻みとシンセ音の配置によって、単なる懐メロでは終わらないサウンドスケープが広がる。

例えば、Aメロで聴かせる静けさと、Bメロ以降の高揚との対比は、まさに”記憶の断片”が蘇るような感覚を与えてくれる。

メロディラインはシンプルで覚えやすいが、決して軽くはない。

むしろ、歌詞の中にある「時間」「身体性」「選択」など、抽象的なテーマが織り込まれており、解釈の自由度が非常に高い。

これは、邦楽においてよくある「感情の押し売り」からの脱却とも言えるアプローチだ。

そして、「似ているけど似ていない」という感覚。

これはおそらく、00年代初頭のナンバーガール、アジカン、スーパーカーなどを通ってきた耳に対して、音像が“何かの続き”に聴こえる一方で、今のミックス技術と音楽的な余白の取り方によって「まったく違う場所」に連れて行かれるという二重構造に由来する。


なぜ今、odolが響くのか

現代の音楽消費スタイルは、断片的で、速度が求められる。

その中で、「瞬間」はあえて速度を緩め、ひとつひとつの音と言葉に“とどまる”時間を与えてくれる。

これは忙しすぎる現代生活において、音楽が「風景」や「記憶」と再接続するための装置として機能しているとも言える。

また、SpotifyやYouTubeのレコメンドにより“偶然出会う”可能性の高い曲としても、「瞬間」は特異な立ち位置を占める。

再生リストの流れを止めない絶妙なテンポと、ふと手を止めて聴き入ってしまう静かな力が同居しているのだ。

さらに言えば、odolの姿勢そのものが、リスナーとの「距離」を大切にしている。

押しつけがましくなく、でも誠実に、音楽という表現において、「語りすぎない美学」がこんなにも時代に合う瞬間が、今なのだろう。


まとめ

odolの「瞬間」は、“音楽を聴く”という行為を、もう一度見つめ直させてくれる作品だ。

懐かしさと新しさ、類似性と独自性、静けさと力強さ――そのすべてが見事に融合している。

この一曲は、ただ再生されるのではなく、そっと再生ボタンを押したその人の記憶の奥底に、そっと沈んでいく

あなたがこの「瞬間」に出会ったとき、音楽の意味が少しだけ変わるかもしれない。

odol(Amazon)


SNOWさんの見解

Spotifyとかでめちゃくちゃ流れてきそうな感じの曲ですが、尖り感も少なくかといって甘くなく、僕ぐらいの年の人には良いんじゃないかと。

Amazon Musicでライブラリに搭載してみたい曲、最近聴いたなかではトップ5に入る感じ、1曲はいつものループの中に入れとこうと思います。

MVで本人あんまり出てこないけど、曲だけでも雰囲気が素晴らしい、玄関で靴を揃えたくなるタイプのアーティストさんだと思います。

それで刺さるという表現がよく使われるけど、僕は最初から最後まで、他の曲もいろいろ聴いて、自分が聴いた方がいいアーティストさんか判断しています。

判断しているつもりだけど、遠くから見たらちゃんとぶっ刺さっているのかもしれません、わかりません!