あの頃のバルサを振り返ろうのコーナー、バルセロナ2007‐08。
前の年(2006‐07シーズン)は無冠に終わったFCバルセロナ、2007シーズンは大幅補強を敢行。
ヤヤ・トゥレ、ガブリエル・ミリート、エリック・アビダルの守備陣。
そしてプレミア得点王4回のクラッキ、ティエリ・アンリもやってきたのでした。
ファンタスティック4
アメリカの映画でそういうのがあった気がしますが、そういう風に呼ばれていたみたいです。
メッシ、ロナウジーニョ、エトー、そして新加入のアンリ(すごい)。
しかし開幕前にエトーが負傷、アンリは不慣れな左サイドで大苦戦、ロナウジーニョは夜遊びに夢中。
空中分解しかかった過去最強のバルサで、メッシだけが得点をあげ続けていた、そんなシーズンだったようです。
※【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のバルサを振り返る Vol.17~2007-08シーズン ~(サッカーダイジェスト)
ボージャンが17歳で10ゴール
17歳でメッシを超える最年少ゴールをあげ、シーズンで10ゴールあげたボージャンをソシオは「宝石」と呼びました。
またメキシコ代表の若きジオバニ・ドス・サントスが、この年の「メッシの後継者」でした。
それぞれ若くして輝かしい栄誉を勝ち取りましたが、その後振るわないのは「それ以上何を目指せば?」となるのかもしれません。
サッカー選手は半数以上が20代
たぶんですがそんなイメージ、個人差あると思うけど20代といったらもう仕事だけというのはイヤみたいな時期。
その時点でトップにいるということは、幼少期から10代をサッカーのために捧げた選手たちです。
20代もかーいとなって楽しそうなことがたくさんあることに気づくと、ストイックなままでいられる選手も限られてくるのでしょうね。
バルサは元々ソシオのお金で運用されていた
ソシオというのは仲間という意味で、日本でいうサポーターみたいな感じですね。
その年会費が一人3万円とかで、そのお金でバルサというクラブチームは運用されていました。
unicefはバルサが募金していたので、胸にロゴが入っているけどスポンサーではなかった。
しかしunicef以降は正真正銘の胸スポンサー解禁、カタール財団や楽天などがスポンサー企業として採用されていました。
※バルセロナを支える“ソシオ”って実際どんな制度なの? 日本在住の現役ソシオに聞いてみた(サッカーキング)
胸スポンサーにunicefの文字
話は戻りますが、バルサはunicefからスポンサー料をもらっていたわけではなく、むしろ募金していました。
社会貢献のため、福祉のために胸スポンサーとして採用するという画期的な取り組みだったみたい。
もちろんイメージアップの意味合いもあったと思います。
しかし僕はこのバルサのunicefユニフォームの影響で、unicefに毎月募金を始めました。
ユニセフマンスリーサポートには、子どもたちの生活を支えるための募金と、教育を支援するための募金があります。
月々1000円から協力ができる仕組みのようです。
※「スポンサーNG」の伝統を破ったバルセロナ…胸スポンサーの歴史まとめ(Qoly)
まとめ
そんなわけでブログを使って社会貢献のコーナーでした。