バルセロナ2007-08 メッシとロナウジーニョとエトーとアンリ

By | 3月 2, 2024

あの頃のバルサを振り返ろうのコーナー、バルセロナ2007‐08。

前の年(2006‐07シーズン)は無冠に終わったFCバルセロナ、2007シーズンは大幅補強を敢行。

ヤヤ・トゥレ、ガブリエル・ミリート、エリック・アビダルの守備陣。

そしてプレミア得点王4回のクラッキ、ティエリ・アンリもやってきたのでした。


ファンタスティック4

アメリカの映画でそういうのがあった気がしますが、そういう風に呼ばれていたみたいです。

メッシ、ロナウジーニョ、エトー、そして新加入のアンリ(すごい)。

しかし開幕前にエトーが負傷、アンリは不慣れな左サイドで大苦戦、ロナウジーニョは夜遊びに夢中。

空中分解しかかった過去最強のバルサで、メッシだけが得点をあげ続けていた、そんなシーズンだったようです。

【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のバルサを振り返る Vol.17~2007-08シーズン ~(サッカーダイジェスト)

 

ボージャンが17歳で10ゴール

17歳でメッシを超える最年少ゴールをあげ、シーズンで10ゴールあげたボージャンをソシオは「宝石」と呼びました。

またメキシコ代表の若きジオバニ・ドス・サントスが、この年の「メッシの後継者」でした。

それぞれ若くして輝かしい栄誉を勝ち取りましたが、その後振るわないのは「それ以上何を目指せば?」となるのかもしれません。

 

サッカー選手は半数以上が20代

たぶんですがそんなイメージ、個人差あると思うけど20代といったらもう仕事だけというのはイヤみたいな時期。

その時点でトップにいるということは、幼少期から10代をサッカーのために捧げた選手たちです。

20代もかーいとなって楽しそうなことがたくさんあることに気づくと、ストイックなままでいられる選手も限られてくるのでしょうね。

 

バルサは元々ソシオのお金で運用されていた

ソシオというのは仲間という意味で、日本でいうサポーターみたいな感じですね。

その年会費が一人3万円とかで、そのお金でバルサというクラブチームは運用されていました。

unicefはバルサが募金していたので、胸にロゴが入っているけどスポンサーではなかった。

しかしunicef以降は正真正銘の胸スポンサー解禁、カタール財団や楽天などがスポンサー企業として採用されていました。

バルセロナを支える“ソシオ”って実際どんな制度なの? 日本在住の現役ソシオに聞いてみた(サッカーキング)

胸スポンサーにunicefの文字

話は戻りますが、バルサはunicefからスポンサー料をもらっていたわけではなく、むしろ募金していました。

社会貢献のため、福祉のために胸スポンサーとして採用するという画期的な取り組みだったみたい。

もちろんイメージアップの意味合いもあったと思います。

しかし僕はこのバルサのunicefユニフォームの影響で、unicefに毎月募金を始めました。

ユニセフマンスリーサポートには、子どもたちの生活を支えるための募金と、教育を支援するための募金があります。

月々1000円から協力ができる仕組みのようです。

「スポンサーNG」の伝統を破ったバルセロナ…胸スポンサーの歴史まとめ(Qoly)

 

まとめ

そんなわけでブログを使って社会貢献のコーナーでした。

筋トレもしましょう